ゆとり
************************************************
ゆとり教育で学力が落ちてしまったから 反省して
今度はゆとりの無い教育に変えるのだそうだ
「ゆとり」とは 何だ?
「ゆとり」は 与えればできるのか? 作れば出来るのか?
自分で自分自身を磨き上げていることを感じると 充実感がある
漢字を覚えて日記を書く 手紙を書く
九九を覚えて お遣いをする 箱の中のお菓子を分ける
そんなことが出来ると 自分が楽しい
詰め込んだ知識を 機会を見付けて使うと 役立つ
出来るだけたくさんの知識を詰め込んでおいたら
役立つ機会にいっぱい遇える
いろいろな時に いろいろな所で 役立つ
こんな事が判ると チョット心にゆとりが出来る
点数を稼ぐ為に 漢字を書き 算数をする 手紙も書かないし お遣いもしない
冬の満員電車の 着膨れした客のように 身動きできない
体を動かし 薄着をしていれば
電車に余裕が出来る 互いに気を配りあうゆとりが出来る
知識を 詰め込んでいる時は大変だけど
使って・役立った時は 嬉しい
いくつか嬉しい事をすると もっと大きな嬉しさが欲しくなる
大きい嬉しさを夢見ながら もっと沢山知識を詰め込みたくなる
そして大きく役立つ喜びを味わう
ゆとりを持って きつさに耐える術を得る
こんな風にして 成長して 生活を楽しく出来た
************************************************
ゆとりの無い教育 ゆとりの無い食
「ゆとりの無い教育になる」、「自給率39%」とゆとりの無い食料だ。
ゆとりの無いマスコミが騒ぎ立てる。アメリカ産を頼った付けでしょう。
昔の先生は 不器用だったが「偉かった」。親父もお袋も尊敬していた。
なぜか先生も百姓の親父とお袋を尊敬していたようだ。
親も先生も 自分が偉くないと感じている分 子・生徒を偉くしようといった。
そして 偉い人が書いた分厚い本を 何回にも分けて 沢山読んでくれた。
生活にはゆとりなど無かったが 心にはゆとりのようなものがあった。
「米を食わずに麦を食え」と言われた。
引割飯に沢庵・味噌汁から 食パン・マーガリン・牛乳が朝飯になった。
夕飯のうどんは黒い地粉から白いメリケン粉になった。片栗粉がコーンスターチになり、
村に残るのは大学に受かりそうも無い暴れん坊で、成績のいい児達は都会に行って大学に行けと勧められた。
みんな短大・大学を目指し 忙しく競争して村から離れていった。
それから 40〜50年経ったら 人はお金で比べ
役人や先生の収入と 親の収入に差は無くなり
互いに尊敬の念が薄れ 教育は乱れ 社会も乱れた
食い物はあらかた外国産になって、どこもかしこも「ゆとり」など感じられない
国防だけではなく 小麦も味噌醤油の大豆も アメリカに負んぶして、
「戦争の練習をする所」はいやだと唱える「長」がいる市町村には補助金をやらない・意地悪国家が出来ていた。
税金を政治家と役人の鞭(無知)に使うようになって
、国土・国民は荒れ果て 食い物がなくなってしまった。
俺も 年をとったものだ
************************************************
フジコ・ヘミングのピアノは リズムも音色も 独特で歌うようだ
譜面通りに弾くのは機械でも出来る
ピアニストは 人間だ、 人は 都度変わり、同じではないし、歌うように弾ける。
だから 失敗がある。 挑めば 成功も大きいが 失敗も大きい。
やれば誰にでも出来る、やろうとしないだけ とフジコは言う。
フジコはゆとりなど無い、と言うが 「求めるもの」に確信がある。
************************************************